「ねぇ聞いてよ!あいつD組の田中とヤったらしいよ!」
「マジ!?でも田中って彼女いなかったっけ?」
「そう!生徒会の女だよね?ヤバいよね!マジかよって感じ!」
「マジ最低じゃーん。てか田中ってサッカー部だから『あいつのゴールに決めてやったぜ』とか言ってそー!!」
「マジウケル!『3回ヤッたからハットトリックだね・・・』とか?」
「ギャハハハ!ちょーウケるんですけど!」
「謝る時もリフティングしながら『レッドカードだけはやめて下さい・・・』って謝るんじゃね!」
「ギャハハハ!マジウケすぎてぴえんぴえん!!」
はい、記事と関係ない始まり方したけどブログ始めまーす。
低レベルな会話は気持ち悪いね。
今回はZORNとCreepy Nutsのツーマンライブのレポートと「セルアウトってなんだろ?」って考えた記事だよ。
Creepy nuts×ZORN ツーマンライブレポ
2020年8月13日にZepp Diversityで行われたCreepy Nutsの生業ツアーを観てきた。ライブだと「参加」って書く方が多いけど今回は正に「観る」っていう言葉がぴったりだった。
普段のライブと違う所を箇条書きにしてまとめるとこんな感じ。
・マスク着用
・入場前の検温、手の消毒
・アルコール販売中止
・パイプ椅子に着席
・声援禁止
・チケットは1枚単位で販売
・換気のために一部ドアを常に開放
みんな基本的に1人で来場しているので、会話をしている人も殆どいない。ライブが始まるまでの間、着席してひたすらスマホと睨めっこだ。
いつもはスタンディングで満員電車のようになるフロアにはパイプ椅子が並べられ、2席ずつ開けての着席となるので人影はまばらで寂しい印象を受けた。
自分は最後部の席だったのだが、運悪く常時開放されているドアの前だった。音が抜けていってスカスカだった・・・。
何より、声を出せないのは本当につまらない。
HIPHOPのライブで一番の魅力は観客が被せて声を出す所だと思っている。
ZORNのライブは、客演曲を中心に怒涛の畳み掛けだった。
AK-69との「If i die feat.ZORN」では、音源では伏字となっている×××もきちんと歌っていた。
ちなみに「クリスタル」(覚せい剤の隠語)だったよ。
「Muse」ではフックにオートチューンを掛け、音源とは違う感じで歌っていた。でもちょっと下手だった。
とりあえず使ってみましたみたいな感じはした。
途中、転換の時間にCreepy Nutsのファンらしき女性が係員に
「立つのはアリなんですか?」
と聞いていた。
その後、Twitterで
『立ってもいいらしいですよ。係員に確認しました!』
みたいなツイートをしていたが、Creepy NutsのMCで「立つのもダメなんすよね?」みたいな事を言われていたので誰も立つ事はなかった。
Creepy Nutsのライブの時には着席しながらも必死で上半身を揺らし手を振っている女性客が多く見られた。
あぁ・・女性人気あるんだなぁ。アイドルみたい。
と思って少し僕は引いてしまったが、楽しんでいるのは良い事だ。
僕の隣の兄ちゃんはZORNの時は手を振ったりする事もあったが、Creepy Nutsの時は足を組んでただステージを眺めていた。
何となく気持ちはわかった。
ZORNとCreepy Nutsのスタイルの違い
ZORNとCreepy Nutsのライブを見ていて、スタイルの違いをまざまざと見せつけられた気がする。
ライブ直後に僕はこんなツイートをした。
ブログ書こって言ってからだいぶ時間が経ってしまったのはアレだが、その分内容で補填したい。頑張る。
僕はこのライブで感じたことから、HIPHOPにおけるセルアウト問題を考えていこっと思った。
ツイートの通り、
観客、リスナーに見せる事を意識している=Creepy Nuts
自分の事を自分の為に書いている=ZORN
と、僕は受け取った。
そりゃ曲によってはスタンスが変わる事もあるだろうが、割合的にこの様に僕は感じている。
誰のために音楽をやっているか=HIPHOPにおけるセルアウト問題に繋がるのかなぁと思った。
J-POP、HIPHOPというジャンル分けはあまり好きではないが、この記事ではイメージしやすい様にあえて使う。
リスナーを観客とするのがHIPHOP
リスナーを主人公とするのがJ-POP
人の生き様を見る=HIPHOP
人の生き様に自分を重ねる=J-POP
具体的な歌詞=HIPHOPぽい
抽象的な歌詞=J-POPぽい
これがライブ中に僕のとったメモである。
次のトピックから掘り下げていく。
リスナーを主人公とするのがJ-POP
J-POPでは誰しも経験がある事を歌詞にすることが多い。
そのメインの柱となるのが「恋愛」についてだ。
恋愛=ほとんどの人が経験する事だ。
え?しない人もいる?
それは知らん。
そして主人公は基本的にのっぺらぼうとして描かれる。
外面的要素や特殊な属性などを宣言したりはしない。
例えば「俺は岡山育ちの身長190cmのちょび髭の男なんだけど・・・」
なんて言わない。
歌の主人公はリスナー自身に感情移入してもらう為の容れ物となる。
ゲームの主人公が何も言わないのと同じだ。
リスナーそれぞれが歌の主人公と自分を重ね合わせ、自分の今まで経験してきた情景に当てはめて考える。
感情移入する事によって共感し、心を動かされる。
逆に言えばリスナーの人生の経験値が試されるとも言えるかもしれない。
少しだけ僕の話をするが、
中学生の頃、恋愛を経験していない僕は巷に流れる恋愛ソングに全く興味がなかった。なんでみんなこんな愛だの恋だの歌っているのだろう。と思っていた。
その頃、僕がハマったのはBUMP OF CHICKENだった。
恋愛をテーマにせずに物語風の具体性を伴った歌詞が自然と心に入ってきた感覚だった。
『K」「ラフメイカー」「ダンデライオン」
だが時は経ち、今じゃ高校生になり僕は恋愛を経験する事になった。
初めて人を好きになり、そして一瞬でフラれた。
もうマジでめちゃめちゃ落ち込んだ。
「え?失恋した人みんなこの辛さ耐えて生きてんの?マジリスペ・・・」
とか思っていた。
その時から恋愛ソングが、急に心に染みるようになった。
耳にも入れようともしなかった西野カナや加藤ミリヤの曲を自分の経験と重ね合わせて聴く事もできるようになった。
・・・という経験は歌詞に向き合うターニングポイントとなった。
抽象的な歌詞から自分の経験を結び付かせて聴く。
つまり、
意味のなかった抽象的な歌詞に、自らの経験を補完することによって具体的な内容の伴う歌詞に変わって聞こえたのだ。
一聴すると内容が無い様な歌詞でも、聞き手が補完することによってストーリーが完成する。
具体性のない歌詞は、具体性がないからこそ多くの人に共感を得ることができる。
そして基本的に大衆は「自分が共感できるか、できないか」が作品に対する判断基準なのである。
その一番手っ取り早い方法が、具体性を排除した歌詞を作る事である。
『セブン』→『コンビニ』
『新小岩駅』→『駅』
『サイゼリア』→『ファミレス』
する様に。
過去、何かのインタビューでスガシカオが語っていた。
「普通の事でも含みのありそうな言い方に変えると、リスナーは勝手に想像してそれっぽい意味を考えてくれるから楽ですよね。」
これは完全に皮肉交じりの言葉だ。
物語に余白を持たせる事で、受け手が自分と登場人物を勝手に重ね合わせ共感してくれる。
だから別に意味なんて込めなくても曲はヒットする。
感情移入ができる装置を創り出せば良いだけだ。
そんな音楽業界をスガシカオは冷やかな目で眺めていた。
リスナーを観客とするのがHIPHOP
逆に具体性のある歌詞の前では聞き手は聞き手として存在するのみである。
歌詞の中の事象や対象は固有名詞を使うことによって限定される。
いわば曲の主人公はリスナーではなく、歌い手自身となる。
HIPHOPの曲には固有名詞が多い。
例えば自分のレペゼンする街の名前、食らったラッパーの名前、吸っている煙草の銘柄などである。
リスナーは固有名詞により、「あ、これは自分の話ではない」と判断し、聞き手に回る。
個人的には芸術作品として、こちらのタイプの方が聴いていて面白い。
「言葉として残したい」という初期衝動を忠実に体現しているのはHIPHOP的な歌詞だと僕は感じる。
だが、共感を伴わない感動はハードルが高い。
自分の事とかけ離れた事柄に対しては、物語としてのクオリティが相当高くないと他人事に対して感動出来ない。
だから大衆向けの作品にはリスナーが感情移入出来る余地があえて作られている。
そう考えると、今のHIPHOPシーンの小ささにも納得が行く様な気もする。
現に過去から現在まで売れたラッパー達は固有名詞の使用を極力抑え、「誰にでも当てはまる=共感しやすい」J-POP的な内容の歌詞が多い。
この記事でも書いたが、人間は共感を求めている。映画を見る時も、小説を読む時も、音楽を聴く時も、「感情移入できること」を求めている。
HIPHOPにおけるセルアウト
さて、J-POPとHIPHOPにおける歌詞の作り方の違いを考えてきたが、いよいよ本題である「セルアウトとは何か?」について書いていこうと思う。
と思ったが、書きたい事は概ね書き切ってしまった感がある。
乱暴な言い方をするなら、
セルアウト=リスナーを意識した曲作り
という事になるだろう。
HIPHOP=リアルであり自らの境遇、感じた事を自分の言葉で綴る音楽だと言われている。
その面から見ると、
自らの事だけを自らのために歌う内障的な歌詞こそがHIPHOPっぽいと呼ばれる要素となってくる。
リスナーの心に届くのは、結果であり目標ではない。
・・・が一方、その精神でずっとアーティスト活動するのはキツそうだなぁと思う。
少し捻くれた見方をするならば、具体的に固有名詞も感情も全て提示してくれるHIPHOP的な歌詞は、聞き手は受け身なだけだから楽なのかもしれない。
別にどちらが優れていると議論するつもりはないが、
HIPHOP的なリアルがどちらかと言えば、自分を主人公として描く方ZORN的なリリックになるんだろうな。
個人的にはリスナーを楽しませようとする作品より、その人自身の生い立ち、考えを自分の為だけに言葉にしている方が聞き応えはあるし好き。
エンタメとしてみた時はCreepy Nutsの方が楽しめる。
僕は昔にB’zとエアロスミスのライブを見た事がある。
その時も今回のCreepy NutsとZORNのライブを見たときと同じ感想を持った。
エアロスミスとZORNは自分たちがやりたいからやっている。
リスナーはついでだから聞いて盛り上がっていいよ 的な。
B’zとCreepy Nutsは観客に向けて、どうやったら観客が盛り上がるか、楽しい体験をしてもらえるかということにこだわっている。
当然、ショーとしてのクオリティは格段にB’zとCreepy Nutsの方が高かった。
最初からリスナーの事を考え、どうやったら楽しめるのか、共感できるのかを考えて作られた作品はエンターテイメントとしてのクオリティは当然高い。
まとめ:リスナーを意識した曲作りはセルアウトと言われる
「人に何か伝えたい!楽しんでもらいたい!」
じゃなくて
「これを言葉に残したい。自分の為に。」
が本当のHIPHOPだって言いたいのかなHIPHOP村の人々は。と思った。
こんな感じがセルアウトって言われるメカニズムなのかなぁ。
ただ、「何かを言葉に残したい!」っていう初期衝動はアーティストを続けていくにつれて確実に少なくなっていくから難しいところだと思うけどね。
ってわかりやすく説明してくれるHIPHOPおじさんがいたらいいのにね。
Twitterに下らない事ばっかり投稿してる暇があるなら。
文句しか言わないおじさんはどこの世界でも嫌われて然るべしだよ。
ZEEBRAの不倫騒動にきゃっきゃしてネタツイートばっかしてるんじゃないよ。
「あいつとあいつ付き合ってるのにやったらしいよ〜やばくね〜?」
と噂話に盛り上がる女子高生と同じレベルか。
精神年齢が上がってなさすぎてやばたにえん
ぴえん