HIPHOP

バトルヘッズはなぜ見下されるか〜R-指定、呂布カルマによる口喧嘩文化の発展〜

「俺最近HIPHOPハマっててさぁ・・・」

「まーじ!ビガップじゃん!どんなん聴いてんの?」

「めっちゃYouTubeでMCバトル観てる!呂布カルマとか最近だとSKRYUとか!」

「え?音源は?ディグってないの!?」

「ディグ・・・?なんて?」

「困るんだよねー!MCバトルだけ観てHIPHOPとか言う奴!」

「え・・・・」

「バトルヘッズとかマジでダサいよ。」

「あ・・・ごめん・・・」

「ちゃんと音源聞けよ?全くバトルヘッズはよぉ・・・・」


バトルヘッズ、バトルMCとは

バトルヘッズとは主にMCバトルを視聴するだけでラッパーの音源などはあまり聞かないタイプのHIPHOPヘッズだ。

フリースタイルダンジョンやYouTubeのバトル動画などで急速に増えていった。

彼らはYouTubeのコメント欄などによく出没し、楽しそうに盛り上がり、時には口汚く罵り合ったりしている。

その反面、古参ヘッズや音源派ヘッズ「バトルヘッズが増えてうっとうしい」と文句を言い、「バトルヘッズは全員ニワカ」などと愚痴り合っている。

ちなみにバトルばかりに出て音源を出さないラッパーはバトルMCと呼ばれ、バトル中でも格好の弱点となる。


音源を出さない百足に対して全てのバースを使って狙い撃ちするミメイ。「音源のないラッパーはウドの大木」とまで言ってしまう始末。
bunTesとKarterを蚊帳の外にしてまでしつこく攻撃続けてるのが好き

ちなみに通ぶりたいときは、このバトルを見て「みんなアガってないけどKarterが一番ヤバくね?」って言うのがお決まりのパターン。


と言う訳で、今回は何故バトルヘッズは古参ヘッズや音源派ヘッズにバカにされるのかを考えてみるよ。

フリースタイルダンジョンによるMCバトルブーム到来

2015年からスタートしたフリースタイルダンジョンや動画をYouTubeにあげ続けた戦極MCバトルなどにより、アングラ一色だったMCバトル界に新しいヘッズ達が流入し始めた。

するとKダブシャインNORIKIYOなどが有名だが、昔からいるラッパーやヘッズ達の多くはこのブームを批判的な目で見ていた。

バトルMCには「バトルだけ頑張って音源出さないってHIPHOPじゃねぇ」

バトルヘッズ
には「バトルだけ観て音源聞かないのはHIPHOPじゃねぇ」

批判的な目が向けられた。

何故バトルだけがフューチャーされたか


そもそも何故、MCバトルだけが世間に広がっていったのか。

それは単純にエンターテイメントとしてHIPHOPに興味がない人々にもMCバトルが分かりやすかったからである。

太古の昔から人々は「争い」を娯楽としていた。

ローマ帝国に残るコロッセオ、
日本の国技である相撲、
プロレス、格闘技、スポーツ全般・・・・などなどあげていけばキリがない。

さらに云えば、肉体的な争いではないが、討論やディベート、そしてMCバトルも人と人同士の「争い」である。

人間の本能は「争い」に惹かれるように出来ている。

学生の頃を思い出してみると、教室内で起こった喧嘩には他のクラスからもわんさか野次馬が集まり、争いを一目見ようとゴッタ返す。


だが、MCバトルは十数年前から日本にあった。
それが今になって流行り始めたのは何故か?

それには以下の2つの理由があると考える。

・口喧嘩としてのMCバトルの発展
・MCバトルのスポーツ化

次に詳しく書いていく。

音楽性を競うバトルではなく口喧嘩がメインへと変遷していったMCバトル

日本でMCバトルが広まっていった時期といえば、B-BOY-PARKでKREVAが三連覇を果たした2000年前後だ。

昔のバトルでは、
・どれだけ即興で韻を踏めるか
・どれだけ自分を上手くアピールできるか

が勝負の鍵だった。

ラッパー達はどれだけ韻を踏めるか、自分の魅力をバース中にどれだけ吐くことが出来るかに注力し、自分をアピールする事で精一杯で相手との会話をするレベルではなかった。

比較を用いて自分を上げるために相手にディスを行なっている程度で、討論と言えるほど込み入った会話になる事は少なかった。


だが時は経ち・・・・



今じゃ雑誌のカバー!!



じゃない。


時は経ち、年々MCバトルのレベルは上がっていった。

ここで言うレベルというのは討論として見た際のMCバトルだ。
もちろん音楽的な要素のレベルも上がっているが、それ以上に「自分をアピールする場」から「相手との議論をする」場に変わってきた印象を受ける。

そうなってくると最早、HIPHOPに興味が無くとも面白いのだ。
お互いが自分の主張を相手に投げ掛け、矛盾点を指摘し、論破する「口喧嘩」として見ていて面白いのだ。

その姿はもはや高度な議論を見ているような爽快感と同時に、喧嘩のようなピリついた格闘技を見ているような高揚感がある。

高い技術で行われる上手い言い回し、即興でバースに組み込む韻はHIPHOPに興味が無い世間にも受け入れられる程に高いレベルまで来ている。

「口喧嘩の強さ」と「言葉遊びの巧さ」

この二つはHIPHOPへの興味がなくても普通に面白い。
だから元々HIPHOPに興味がなかった人々に受け入れられていったのだ。

いわゆるこの「口喧嘩文化の発展」の一端を担ったのは、間違いなくR-指定、呂布カルマ、DOTAMA、晋平太などフリースタイルブームで名を挙げたMC達だろう。

今では相手との対話が噛み合っていないバトルは見ていても面白く無いと言われてしまうほどになった。


MCバトルの口喧嘩化と合わせて、世間に受け入れられるようになったのにはもう一つ理由がある。

MCバトルのスポーツ化

MCバトルのスポーツ化と言われて久しいが、MCバトルは健全な議論の場として捉えらえるようになっていったと言っても過言ではない。

カッとなって相手に掴みかかったり、それこそ殴り合いの喧嘩が始まるようなMCバトルは圧倒的に少なくなった。

「手出すなんて、何の為にMCバトルやってるんだ。」
と批判的な意見が多く、
「正々堂々とラップだけで勝負」を求める声が多い。

この正々堂々を求めるところがスポーツ化と言われてしまう所以であり、過去のアングラなMCバトル界を見てきた古参ヘッズ達にとっては物足りないのだろう。

だが個人的な意見として、というか客観的に見ても
「MCバトルなんだからラップだけで勝負する」
という方が納得性があると思う。

アングラ臭を敬遠するHIPHOPに興味が無い一般層は、
MCバトルのスポーツ化によってアングラ臭が排除がされたからこそ、世間に受け入れられるようになった。

ちなみにスポーツ化に対して嘆いてるヘッズ達は、ただのオラオラしたい懐古厨なので気にしなくて良いと思う。

ちなみにスポーツ化と言っても、ステージ上で何を言っても「パフォーマンスだから」で許されるということでは無い。

勢いでだけで出来もしない事を口走ってしまうのがダサいのは変わらない。


「ステージ上じゃ粋がりまくってるのにステージ降りりゃただのbicth!」とT-pablowに怒られてしまう。

まぁこれだけだとMCバトルが見下される理由にはならない。
本題は次からだ。

なぜMCバトルは下に見られるのか

理由①:バトルだけではMCにお金が入らない


基本的にMCバトルに出場しても出演料なんて無いし、なんならラッパーはエントリー費を払って出場する。

だからバトルだけやっていても優勝しなければ1円にもならない。

それがバトルヘッズが蔑まれる風潮が強い理由の一つだ。

「HIPHOPが好きならお金落とせよ。」
「金を払って音源買う方がHIPHOP界に貢献している=偉い』
という意識があるのだろう。

その考え自体は確かに理に適っていると言えよう。

だが、その考えも行き過ぎるとアイドルに幾ら金を貢いだかで決まるオタク同士のカーストのように滑稽だ。

そして今の時代には曲を出さなくたって金を稼ぐ方法はいくらでもある。
なんならCDを買う人は少なくなり、今やサブスクの時代だ。

更に言えばサブスクの1回の再生回数より、youtubeの1回の再生のが金になる。

レペゼン地球の様にyoutubeで広告を付けなくたって、知名度さえあればどんなビジネスにも変える事ができる時代だ。

音源を出さない=お金が入らない時代はもう終わった。

自分のグッズを売るための通販サイトだって今や簡単に作れる。
なんならグッズ販売が一番楽に稼げる。

最近で言うと、ZORNのグッズで曲名をちょっとしたロゴにした物やCDジャケットをTシャツやパーカーにプリントするだけでグッズの出来上がりだ。個人的には流石にちょっとあれだなぁ・・・と思ったが。


話を戻すが、確かにHIPHOP界への貢献で考えたら音源を聴かないバトルヘッズは貢献度は低いかもしれない。
蔑まれる理由にはならない。

そもそもアーティストへの貢献度なんて競うものじゃ無い。

曲は自分が聴きたいと思ったからこそ聴くわけで、
貢献したいから聴くわけでは無い。
そこでヘッズとしての優劣など決まらない。

蔑む人達はタダの「何かを見下したい人」だから全然気にする必要はないと個人的に思う。

理由②:曲を作らない=自分が言いたい事がない

今度は音源を出さないラッパーに向けられる批判についてを考えてみる。

これは簡単な事で、自分の言いたいことを自分の世界を作って言うのが良しとされているのがHIPHOPだからだ。

いや、HIPHOPだけでなく音楽、もっと言えば芸術は全てがそうだ。

自分の表現したい事を煮詰めて煮詰めて作品にする、と言うのが本職とされている。

だから曲を作らないラッパーは、結局のところ言いたいことがない人間と見られてしまう。

自分が心から表現したいと思う事を形にする事はとても価値がある事だと思う。

舐達麻のバダサイもMCで言っていたように、自分の世界を自分の言葉で綴る事に価値がある。それが低レベルと言われようが関係ない。


(いい事言ってるが、これ見よがしに大麻を吸い始めるのとステージ上に人がワラワラいるのはあんま好きじゃない笑)

まとめ:ヘッズはバトルだけ見てても見下される筋合いはない

どれだけラッパーに貢献できているか。という面で見るなら確かにバトル動画だけ見ているヘッズはラッパーへの貢献度は低い

だが、本来アーティストへの貢献度なんか競う合うものでない。
このファンはCD10枚買ったから偉いとか、1枚も買ってないのファンはダメなんて下らない。

それは音楽をビジネスシーンとして見ている職業人だけが許される目線だ。
ただのファンがそんな目線をしているのはめちゃめちゃダサいし痛い。

それぞれが好きなようにHIPHOPを楽しめばいいし、ファン同士で優劣をつけるのなんて非常に下らない。

アイドルの自称ファンクラブが新参者をイジメ流のぐらいダサい。
何様のつもりなのだろうか。

一方曲を出さないラッパーについては、批判される事も致し方ない部分はある。

自分が表現したい事をきちんと持っている芯のあるラッパーはやはりかっこいい。


KOK2020の崇勲もLuvit戦で「共感なんて求めてない俺は俺のリアルを歌うだけだ。」と言っていた。

それこそがHIPHOPの、というか表現する芸術家としての本質ではないかと思う。

「共感を求めることが俺らの宿命じゃねぇリアルを歌うんだぜ」
とGADOROも言っていたね。

MCバトルだけやってるMCはダサい!
でもMCバトル出ないでMCバトル出てるMCはディスる奴はもっとダサい!
と十影も言っていたね。

という事でみんなハッピーにいこうよ。
雑な締め方でごめんね。

以上、よろしくお願いいたします。

おまけ:口喧嘩文化へのカウンター


鎮座DOPENESSがバトルに復帰してきたのは、Rー指定や呂布カルマが築き上げてきた上手い言葉遊びだったり口喧嘩の強さを競うMCバトルじゃなくて、もう少し純粋に音楽に寄せたMCバトルにするためかもね。・・・って考えたら熱いね!!

何言ってるかわかんないけどかっこいい!ってなったMU-TONも同じような存在だと思う。

何かに寄りすぎたらカウンターのカルチャーも生まれるよね。

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ショーペン
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HIPHOPが嫌いだけど好きな元バンドマン。28歳。 Twitterをフォローして頂けると更新をお知らせいたします。 小鳥をクリックすると僕のTwitterアカウントに飛べます。         ↓↓↓↓↓

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