ベランダの窓を開けるとムワッとした空気を顔に浴びた。
「うわっ外暑いな・・・」
青空が広がり、雲の影すら見えない。
さっき見た天気予報では今日は30度を超えるらしい。
「夏だなぁ。」
重たいカゴを両手で掴み、エアコンの室外機の上に乗せる。
鼻歌交じりに1枚1枚カゴから取り出し、一箇所、二箇所と留めていく。
足元に室外機の生温い風が当たっている。
暑い。
首元から汗が滲み出し始めた。
「あれ、珍しいどうしたの。」
彼女が寝惚け眼をこすりながら、窓の隙間から顔を出した。
誇らしげな顔で僕はこう答えた。
「洗濯物干すのもHIPHOP」
「え?」
「洗濯物干すのもHIPHOP」
「は?」
「いや・・・え?洗濯物・・・・」
「あ!それお洒落着なんですけど!なんで一緒に洗ってんの!最悪なんですけど!」
「・・・・」
ZORN「My life」のパンチラインの意味
はーいブログ始めまーす。
今回取り上げるのはZORNの有名なこちらのパンチラインについてだ。
一本道を行こう 洗濯物干すのもHIPHOP
My life/ZORN
正直に言うが、
最初にこのフレーズを聞いた時、
「は?何が?」
と思った。
僕のイメージするHIPHOPとかけ離れていたからである。
HIPHOPに馴染みのなかった僕は、HIPHOPと言えば「オラオラした人達が大麻吸って悪口言い合って女抱いてる」イメージしか無かった。
そのイメージとは真逆のZORNのパンチラインは
HIPHOP界でも賞賛されているらしい。
なんでや不思議。
と思っていた。
数年後、改めて聴いた時に「リアルを歌う音楽」HIPHOPという面で多くの人の心に刺さっているのだと知った。
そう、この曲ではHIPHOPの華やかな面やアンダーグラウンドな面を見せていくのでは無く、ひたすら1人の人間としてのリアルで地味な生活をリリックに綴っている。
「繰り返しの生活」という言葉から始まり、
「だいたいこんなもんさMy life」とフックでは繰り返す。
週6で塗装業の仕事をし、ラッパーを続けている自身の何が起きる訳でもない、ただ繰り返す日常を歌い続けているだけである。
「HIPHOPてのはリアルなんだ」
D.Oのリリックが思い出された。
そう、この曲にはリアルがある。
何もない日常はこの日本では溢れている。
戦争も暴動も飢餓もないこの国では、
街を歩いていてギャングに襲われることもなければ、
ヤク中が町中に溢れているわけでもない。
命の危険を感じるような出来事など早々起こらない。
日本で暮らす多くの人々は、
生きていくために仕事をし、
小さな夢を持ちながら、
愛する家族と暮らし、
ほんの少しの幸せと
ほんの少しの不幸せを
繰り返して人々は老いていく。
ZORNの音楽に触れて、僕はこれが日本に相応しいHIPHOPなのかもしれないと感じた。
だが、1つだけ疑問が生まれた。
「ZORNを評価できるのに、日本のHIPHOP業界はなぜ未だにワルを押し出していくのだろう。」
さーて次のトピックからHIPHOP界の人達が大嫌いな
「日本にHIPHOPは似合わない」
という主張について考えていくのね。
もう聞き飽きたよ・・・って人は
見たくなければ、見なければいいのね。
マキバオーなのね。
「日本にHIPHOPは似合わない!」という主張について
は?今更まだそんな事言ってんの?
と思われるかもしれないが、
そう、僕は
今更まだそんな事を言いたいのである。
だって解決してないんだもん。
過去にもいくらでもこの議論は行われてきたのだろうが、僕は僕の思った事をまとめる。
と思ったけど言いたい事は1つだけだった。
日本で悪い事していてもリアルに見えない
という事に尽きる。
このおおよそ平和な国で海外のワル達の行動を真似た所で、そこには納得性の欠片もない。
日本で「プッシャーやるしかなかったんだ」と言われても説得力がないのは当たり前だ。他でも生きていけるんだもん。
「必然的にワルに成らざるを得なかった」
訳ではなく、
「ワルになりたくてワルになった」
は全くもって意味が変わる。
ワルい事をしなければ生きていけないという土壌があって初めて、言葉に納得性が宿り、人の心に刺さる。
海外では、現実にスラム街やゲットーで沢山の暮らしがある事を共通認識として持っているからこそ、メインストリームにいわゆるワルいHIPHOPが乗ることが出来たのだ。
では日本で考えてみよう。
共通認識として、スラム街やゲットーは日本には存在しないんだよ。
ワルい事をしないと本当に生きていけない人間がいるとは世間は思ってないんだよ。
「必然的にワルに成らざるを得なかった」
とは思われず、
「ワルになりたくてワルになった」
と捉えられるだけだ。
だからHIPHOP界の人達が押し出そうとしているワルいHIPHOPは日本のメインストリームには乗らない。
それもこれも、日本人がHIPHOPをやるのは似合わないと散々言われ続けたのに、ただ感情的に返すことしかできないHIPHOP関係者側に責任はある。
それを証明する様に、
過去を遡れば、KICK THE CAN CREW、RIP SLYME、ケツメイシ、童子-T、
最近ではMステ出演で話題となったrin音?空音?、t-Ace、SALU、
など世間に認められるラッパーとHIPHOP界が持ち上げようとするラッパーにはズレがある。
しかも世間に認められればHIPHOP界は
「あいつはセルアウト」だとか言い出す。
もうどうしようもないね。
「U.SではHIPHOPがメインストリームなのに日本は遅れてる!」という主張について
「U.SではHIPHOPがメインストリームなのに日本は遅れてる!」
とかいう人に限って、アングラHIPHOP至上主義の人間が多い。
ぶっちゃけ遅れているのはお前らだ。
上のトピックにも書いたように、
日本の土壌にHIPHOPは合わないとは過去からずっと言われ続けていた。
必要に迫られてのワルと自ら選択したワルは全く違う。
後者には世間から見たら全く説得性がない。
U.Sを神格化し過ぎて、
「本場のHIPHOPはハスリングやギャングスタっぽいなぁ。お、日本でもぽい奴いるじゃん。近い近い。より本物に近い。」
みたいなノリで、
日本でのリアルを歌うHIPHOPをプッシュ出来ずに、U.Sの真似事ばかりしているラッパーをプッシュし続ける業界に問題がある。
HIPHOP業界という狭い村社会で内輪の褒め合いにしか見えない。
U.Sのラッパーは彼らにとってのリアルをリリックにしているだけだ。
それがたまたまワルい事だったってだけで、それをそのまま輸入されても・・・せめて改良しようよ。
行動だけ真似した所で、どこまで行ってもリアルとして受け取られることはない。
恋心を赤裸々に自分の言葉で語っている西野カナの方がよっぽどリアルだ。
(ちなみに僕は西野カナは二葉亭四迷と同じくらいの仕事をしたと思ってる真面目に。)
ワルいHIPHOPも居場所としては日本にもあるべき
だが、もちろんHIPHOPの中には犯罪を犯した人間もオラオラ系も芸術としては評価されるべき土壌はあるべきだとは思う。
少数派ではあるが、どんなに平和な社会に生きていても確実に彼らは存在する。
彼らが吐き出す言葉が芸術として認められる土壌は、社会にとっても非常に有益であると感じる。
だが、それをメインストリームにしようと推していくのはどうかなと思うけど。
もし日本でクーデターだったり戦争でも起きて治安が悪くなることがあれば
逆にリアルとなる日が来るかもしれないね。
まとめ:日本独自HIPHOPの色を出せるといいね
色々言ったけど、
日本ではワルに必然性が無いと思われてしまう。
=なんでわざわざワルい事してんの?
と世間からは思われてしまうからメインストリームに乗らないねって話。
RHYMESTERが言うガラパゴス化はまだまだ進んでいないと僕は思う。
HIPHOPより先に日本に来たロックというジャンルは、来た当初は「こんなのロックじゃねぇ!まがいもんだ!」とかいう人が恐ろしいほど沢山居たが、最近ではそんなにうるさい人はあまり見なくなった。
独自の文化が成熟したし、言わばロックは「大人」となった。
きっとHIPHOPはまだ成長途中の中学生ぐらいなんだろう。
ワルにも憧れるし、
性欲凄いし、
自分を客観的に見れない。
まぁ可愛い物っちゃ可愛い物よね。
日本独自のリアルを反映したHIPHOPをプッシュ出来る様になり、
メインストリームに上り詰めた時に、初めて成熟した文化として認められる。
「俺HIPHOPが好きなんだよね」
て言った時に、
「あーいいよね!」となる様な世界になるといいよね。
今はちょっと引かれるよ。普通に。
番外編:ライターの記事と個人ブログの違いについて
なんか少し前にBAD HOPじゃなくてdodoを聞けと言って炎上したブログがあるようだが、別に炎上するほどの内容ではなかった様に僕は思う。
そのブログを批判する人々の言い分に
「知識が浅い」
「公平性がない」
「もっと勉強してから書け」
みたいな意見が多く見られた。
(まぁこのブログも沢山言われたけど)
え?・・・なに言ってんの?
個人の感想ブログに何を求めてんの?アホか。
どんなに知識が浅くても、どんなに稚拙だろうが自分の言葉で自分の思った事を書くのがブログですよみなさん。
ぶっちゃけ、職業音楽ライターの記事より個人の感想ブログの方がよっぽどシーンの活性化には有用だと思っている。
プロの音楽ライターや企業が運営するブログの記事には批判的な意見は少しも載っていない。
アーティストへのインタビュー記事や、経歴をまとめただけの記事は正直、読んでていても面白くもなんともない。
「自分はこう思った。」や「ここは違うと思うけどな。」
など、筆者の感想が盛り込まれている個人ブログを読んでいる方が僕は好きだ。
作品やアーティストにとって批評される事は、それが賞賛であろうが批判であろうが盛り上がる事自体がシーンの活性化に大きな意味を持つ。
ちなみに「何かを上げたいからって何かを下げるのは醜悪」という意見も多かった。
何かを上げるために何かを下げるなんてそれこそHIPHOPでよく行われているのに、自分たちがやられると怒るのはウケた。
ウケたにえん。
途中までは良かったんやけどな。ある程度は賛同しようとしたけど、関西に限るかも知れへんけど”ワル”?という表現をすると、なめだるまとかジャパマゲとかrealT的なのも含めて結構仕方なくやってる部分が日本にもあって確かにコンプトンみたいな事にはなってないかも知れんけどそれぞれリアルを歌ってると思う。
俺は洗濯物干すのもHiphopてのはリアルという捉え方も考えられるけど生活の全てにHiphopは存在する的な抽象的な事やと思う。それが洗濯物干すのも皿を洗うのも子育てするのも何にしてもて事やろ。そいつの生活とか経験が音楽になるそれがHiphopやろ。それがワルかろうが平和だろうがそいつの頭から出た韻とフロウで包めば最高のビートになるやろ。
個人の感想を書くのがブログ?感想なんかどうでも良いそいつの生活のリアルと経験が何を申すのかそれを知りたいからHiphop聴いてるしそれを深めるために記事を読むんや、ファンの感想とかどうでも良い
人の感想なんか気にせんと自分の好きなHiphop探しな