2019年10月
ANRCHY「WALKING MAN」
2020年1月
SEEDA「花と雨」
と比較的近い時期に公開された二つの映画。
どちらもラッパーが深く関わり制作された作品だ。
サブスクのサイトにもどちらも追加されたので、遅くなったが映画の感想をまとめてついでに比較してみようと思う。
ANARCHY
「WALKING MAN」
このブログは映画のレビューブログでは無いので詳しいストーリーは書かない。というか面倒くさいから書かない。
ネタバレになっちゃうしね!!そうそう。それ。
・・・と思ったけど、ネタバレしないと感想かけないので書くよ。
まずは映画の予告を見る方が早い。これね。
あらすじは公式サイトから引用だよ。ラク!
川崎の工業地帯。幼い頃から人前で話すことも笑うことが苦手なアトム。
映画『WALKING MAN』オフィシャルサイトより
極貧の母子家庭で、母と思春期の妹ウランと暮らしながら、不用品回収業のアルバイトで生計をたてる日々を送っていた。
ある日、母が事故にあい重病を負ってしまう。
家計の苦しさから保険料を滞納していた一家に向かって、ソーシャルワーカーの冷淡な声が響く。
「自己責任って聞いたことあるでしょ?なんでもかんでも世の中のせいにしちゃダメだからね」。
毎日のように心無い言葉を投げつけられるアトムだったが、偶然ラップと出会ったことでバカにされながらも夢へと向かっていく―。
どん底の暮らしをしている主人公が、偶然ラップに出会って人生が徐々に良い方向に向かっていくという黄金のストーリーの映画である。
起承転結がはっきりとして非常に理解しやすく、特にHIPHOPの背景知識が無い人間でも気軽に見れる印象だ。
だからもし「彼女が全然HIPHOPに興味持ってくんないよ・・・」
とかいう悩みを持っているそこのキミは一緒に観ると良い。
女の子にボチボチ人気の野村周平が主演なので
「しょうがないなぁ。たまには君の趣味にも付き合ってあげる。(野村周平ならまぁいいか)」
となること請け合いだ。
御都合主義やタイミングの良すぎる出来事などは盛り沢山だが、だからこそHIPHOPに興味が無い人でも退屈せずに一本の映画として楽しめる。
ここで勘違いしてはいけないのは、彼女はHIPHOPに興味を持った訳ではなく、野村周平に興味があるだけという事だ。
決して観る前にHIPHOPのあれこれについて語ってはいけない。
まだ早い。
まだ慌てるような時間じゃない。
気になった所(ネタバレあり)
この映画では、実際のラッパーがそこかしこに出演している。
特に十影はストーリーにおいて重要な役を与えられていた。
主人公のアトム(野村周平)は遺品整理の依頼を受け、アパートの1室に向かう。そこはラッパーである十影の部屋だった。
部屋に残されていた数々のHIPHOP的なグッズの中でカセットとウォークマンを見つけ出すアトム。
イヤホンを耳に差し、再生ボタンをガチャリと押すと
「・・舐めんな舐めんな舐めんな舐めんな!」
と十影の鬼気迫るラップが流れ込んで来た。
衝撃を受けたアトムは、そのテープとリリック帳とついでに憧れていたエアフォースワンを家に持ち帰るアトム。(ナチュラルな泥棒)
と、一瞬で死んでしまったがアトムがラップを始めるきっかけとなった重要な人物として十影が大活躍である。
この「舐めんな舐めんな」はラストシーンにアトムが歌う曲にもサンプリングされており、「Promise feat.AWICH」としてANARCHYがリリースしている。
十影の元の曲はないのかと思って色々探してみたが、
あ・・・・間違えた
ディグってみたが、それらしき曲はなかった。
悲しい。
代わりに「アシダマナダヨ」にハマってしまった。
「芦田愛菜だよ ・・いや安達祐実かも?」
の所が最高。
そしてこの映画ではBAD HOPでスターダムにのし上がったT-PABLOWも脇役として渋い漢気を見せる。
ある日、アトムはトンネルの壁に落書きをしているB-BOY(T-PABLOW)を見つける。しばらく見ていると警察がやって来て、T-PABLOWは走って逃げる。その時落としたキャップをアトムは拾って被る。(ナチュラルな泥棒)
クラブで再会したT-PABLOWに
「おい、その帽子俺のだろ。」
と言われるが、
「もう俺のだ!」
とキレるアトム。
うぉう・・・?それは普通返すだろ・・・と思ったが、
T-PABLOWはそれ以上、帽子の事は言わず、MCバトルに出場したがラップできず負けてしまったアトムに対して
「お前、負けっぱなしでいいのかよ。」
とけしかける。
漢気あんなぁT-PABLOW・・・かっこええやん。
WILYWNKAやLeon FanourakisのライブシーンやMCバトルでのサイプレス上野やじょうなど、出演しているラッパー達もたくさんいて視覚的にも面白い。
自己責任というキーワード
この映画では「自己責任」という言葉がキーワードとして明示されていた。
「自己責任」とは本来、選択が可能な時のみ発生する。
自分の職業、服装、思想は自ら選ぶことができる。
だが、親、生まれる環境、先天性の病気、肌の色、それは自ら選ぶ事は出来ない。
「生まれた所や皮膚や目の色で一体この僕の何がわかるというのだろう」
とTHE BLUE HEARTSの「青空」でもお馴染みメッセージだ。
現代の日本では「自己責任論」は勢いを増し、「貧乏なのは自分の努力が足りないせい」「自分で選んだ道なんだから」という論調が強い。
正直に言えば、僕も基本的に自己責任論派だ。
だが、生まれる環境や育った環境により、自己選択が出来なかった人間もいるという事を映画では示唆しているように思えた。
他人からは選択可能なように思えても、本人からしてみれば難しい事も多い。
自らが選択するため、自分を変えるためには努力が必須だ。
努力にはまず第一に「目標」そして「方法」を知る事が必要になる。
「方法」を知る事が出来なければ「努力」する事も出来ないのである。
「方法」を簡単に知る事が出来る環境と、簡単には知る事が出来ない環境では差が生まれるのは当然のことかも知れない。
一人歩きし始めた「自己責任」という言葉が、「環境」という重要な要素を無視して対象範囲を広げてきている事を危惧しているのだろうか。
映画のワンシーンで会社の先輩の
「貧乏なのも吃りもお前のせいじゃないからな。もしお前のせいだって言うやつがいたら、俺がボコボコにしてやるよ。でもラップをやるのはお前の責任だ。」
という台詞に映画が持つメッセージの全てが集約されている気がした。
ラストシーンの野村周平のANRCHY風のラップもなかなか良かった。
モノマネとして非常に上手いし、映画のストーリーをリリックに落とし込んだ「promise」という曲がアトムの口から語られる事により、現実味を増し人の心を揺さぶる仕上がりとなっていた。
映画の表題曲として作られた「Walking man」よりも、「Promise feat.AWICH」の方が映画のストーリーを共有した観客の思い入れが強くなるのは当然かもしれない。
SEEDA「花と雨」
日本のHIPHOPクラシックとして名高いSEEDAの「花と雨」を映画化したという作品。
SEEDAの自伝ではなく、あくまで「花と雨」と言う曲を映像化しただけと製作陣から発表されているが、SEEDAの自伝と言っても問題ないストーリーになっている。
It Ain’t Nothing Like Hip Hop/NORIKIYO
アレはクラシック
「rebuild」「花と雨」
今もMONJUに伸びかけた鼻折られる
など、多くのラッパーに衝撃を与えた作品として扱われている曲だ。
全然関係ないんだけど、この曲のフックの「アイセッドヒップホップヒピットゥヒピトゥザヒップヒップホップドンスタダロック」って良く聞くけど元ネタはこれなのね?無知でごめんね。
嵐の櫻井翔も歌ってたね。
Queenの「Another one bites the dust」に似てるね。
・・・と思ったら元はCHICの「Good Times」っていう曲の方がQueenより先なのね。
めちゃめちゃ似てるね。と言うかほぼ同じなのね・・・?
マキバオーなのね。
話が逸れた・・・。
正直この映画は「花と雨」と言う曲の素晴らしさで成り立ってるなと感じた。
当事者達からしたら色々、公にしたくないんだろう事実は説明される事なく幕が閉まる。映画としては不親切な作りとなっている印象を受けた。
テンション的にいうと基本ずっと暗い。
ハッピーな時間は本当に少ない。
「花柄の気分もまた1日の内たった6秒」という歌詞が思い起こされる。
更にこの映画は、登場人物や出来事に対して説明的なシーンは殆どない。
SEEDAの生い立ちやHIPHOP界隈、ドラッグ界隈の知識がなければ理解不能なところがたくさんある。
これがリアルだと言われればそうなのかもしれないが、HIPHOPや闇社会になんの興味も無い人が見たら何が何やらわからないと思う。
娯楽映画としてはあまり完成度が高くなく、ドキュメンタリーとして見たらはストーリーがある方かなぁと思った。
多分自分がSEEDAとHIPHOPに興味が無かったら寝てる。
ついでに言うなら渋谷の映画館のスクリーンが小さすぎてっていう問題もあるのかもしれない。
もしHIPHOPに興味が無い彼女と見ようとしているなら辞めた方が良いだろう。
映画に飽きた彼女が行為を始めようと体を触ってくるが、
「いやちょっと観てるから!」
と突き放して険悪なムードになること請け合いである。
気になった所(ネタバレあり)
吉田(SEEDA)はロンドンでも日本でも疎外感を味わう。
ロンドンのウェンブリーのシーンでは、
子供の吉田(SEEDA)はみんなでフットボールをやっている中、
「日本人のくせに」
と強そうなクソガキに罵られる。
その後、高校生になり日本に帰ってからも、
「なんだあの外国かぶれ」
と帰国子女を理由に罵られる。
まぁヘッドホン付けてたり、周りを見下している吉田も悪いところはあるが。
ロンドンでストリートの環境や貧困層を見ている吉田は生温い日本という環境で粋がっている人間にそんな態度を取ってしまうのは仕方の無いところかもしれない。
ロンドンでは日本人差別、日本では帰国子女差別を受け長い間、拠り所のない環境下で育つ。
唯一の理解者は姉であり、
ロンドンでは日本語で、日本では英語で話すシーンが印象的だ。
周りの世界を敵と見なしお互いに唯一の理解者として、二人の世界を大事にしている姿が見て取れた。
余談だが、オープニングの場所で吉田が車に乗って外国人の女と会うシーンが、アウトレイジの椎名桔平が殺された所と同じだなぁと思った。
ここね。茨城県のウインド・パワーかみす第2洋上発電所付近っていう所らしい。
そしてBACHLOGIC役がクローズZEROのあいつ(高岡蒼甫)だった。
カッコ良かったし流石の存在感でシーンが閉まるなぁと思った。
I-DeA役の人はあまりカッコよく描かれているシーンは無かったが、SEEDAにとって重要な人間だったんだろうなという印象だった。
イマイチ分からなかった出来事として
・姉の悩みからの自殺の動機
・社長の車に乗り込む姉
現実の人間のパーソナルな部分なのでぼかしたのかも知れないが、当事者でない僕はイマイチ理解出来なかった部分だった。
リアルとは何かというメッセージ
「自分はこんなに素晴らしいのに世間は認めてくれない」
という若者が陥りがちなモヤモヤをSEEDAは抱える。
SEEDAは貧困層やドラッグが蔓延するロンドンで、それをリリックにしているHIPHOPを散々見てきた。
「海外での現状を見てきたら日本の現実は生ぬるい。生ぬるい事を歌っていてもHIPHOPじゃねぇ」
と感じ、”自ら”ドラッグディールの道に進んでいく。
富裕層である家族を持ち、ボンボンとして生まれた事をコンプレックスに感じた結果だろう。
HIPHOPだとされる人間達と違って、自分の普通の生い立ちと差を感じて自ら闇の道に落ちていくラッパーは日本に沢山いるだろう。
だが、SEEDAの転機となったのは姉の
「これがあんたのリアルでしょ?」
という言葉だ。姉の自殺後、考えを改める事になる。
自分の生活を自分の言葉でリアルに歌う事にインフェルノのように心血を注ぐ。
そして日本HIPHOPのクラシックと言われるまでになった「花と雨」というアルバムを完成させる事が出来たのである。
自らの生い立ちと、自らが経験した事をリリックに落とし込む。
背伸びや偽る事をせずに自らの人生をそのまま音楽にする事が重要だと気付いた。
それを表すようにSEEDAのリリックには決して大麻やドラッグディールを賛美している姿勢はあまり見られない。
自分がやっていた経験をリリックとして具体的に書くことはあるが、
どちらかというと、大麻やドラッグディールをダサい姿として描く事が多い。
二つの映画の比較
軽くレビューや感想ブログなどを読んでみたが、傾向としてはHIPHOPファンはANARCHYの映画の評価は低く、花と雨の方を高くする人が多かった。
【HIPHOPヘッズ】
WALKING MAN < 花と雨
【一般ピーポー】
WALKING MAN > 花と雨
てな感じ。
ANARCHYよりSEEDA持ち上げた方が渋いっぽいと思って言ってる人もいるんだろうけど、個人的にはWALKING MANの方が面白かったよ。
難解な作品は、よくわからない=わからないけど何か意味があるのだろうと過大評価を生む。
自分がわからないのが恥ずかしいから難解なものにはとりあえず高評価しとくっていう。
SEEDAとかHIPHOPに興味がある人は「花と雨」がオススメ。
普通にHIPHOPを扱った映画を楽しみたい人には「WALKING MAN」がオススメ。
てな感じかなぁ。
当たり障りのない記事でごめんね。
ごめたにえん。
ちなみにどっちの映画もU-NEXTで観れるよ。
無料登録で600円分のポイント貰えるからどっちかはタダで観れる。
amazon primeだと「花と雨」しかない。そして課金制だね。
花と雨
大麻や服役や貧困を理由にしてヒップホップやるだー!
って考えのやつらしかいない本場問わず日本問わずヒップホッパーってやつらのギョーカイは本当の意味での反骨心がなくダッサイ奴らだと思います。
うちら生活保護だー請求書だー云々いうより笑い飛ばして現実向きあった方がいい
先祖のツケくらい俺の代で返して人様世間様をうらまねー生き方をしてやるよ!と言えないヘタレしかいません。
つかそんな人間は運命を変えていくのでヒップホップなんぞやりおません